まだ汚したりない

 2日ぶりにドアを開けると春の匂いがした。世の中がどんな状況でも春は変わらずやってきた。

 退院した人はよく「気付けば季節が変わっていた」と言う。まるで私たちはおのおのの部屋で入院しているようだ。点滴なんて付いていないのに、私たちは病室から出られない。

 春の匂いは、思い出が強くて嫌いだ。

 

 「データベースは結論が出せない」。これは氷菓にて福部里志が自分を表した一節である。この一節を見たとき、自分の宙ぶらりんなイメージがスッと消えた。わたしは結論が出せない。わたしはデータベースだった。

 何かの一番を決めるのが苦手で、一人が得をした後は平均の水準をあげていくべきという考えを持ち、自分の考えを持たずに人と人の中間点をいつも探す。

 わたしには私の気持ちは分からないし、むしろそれでよかった。気持ちに従うと言うことをしたことがないから、それがどういった反響を起こすのか試す気にもなれない。

 でも、その言葉を見たときに楽になった。データベースなのだから、結論なんてだせなくてもいい。決めるのはわたしじゃなくていい。

 

 「やらなくてもいいことはやらない。やらなきゃいけないことは手短に」。これは同じく氷菓にて折木奉太郎がモットーとして掲げる言葉である。わたしはこの言葉を考えていると物事に優先順位をつけられる。やらなくてもいいこととやるべきことに物事が分類化されていくのは気持ちがいい。それに、やらなくてもいいことに分類されたものは、やらなくていいのだ。こんなにすごいことはない。

 

 職場で使っているマウスのホイールが壊れた。勢いをつけて回さないとうまく回ってくれない。経費で落ちるのか確認してから新しいものを購入しようと思いながら、まあまあな時間が経過している。でもなんだかここまでくると愛着がわいてしまって、日によって調子のいい日があると撫でたくなるし、調子の悪い日は同情さえ感じる。どうしたものだろう。

 

 ノンフィクション作品が苦手なのに、「僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー」を購入してしまった。完全にこの自粛生活に流されて買ったものだが、以外とすんなり読めている。なかなかに学ぶところが多い。私が人生で大事にしている「お互いの状況を理解しようとする」心情にも、「エンパシー」という言葉があることを知った。エンパシー、みんなも大事にしてくれるといいと思う。

 

 3~4年前にも「少し前までだったら言えたけど今はもう言えなくなっちゃった、なんかファン層怖いんだもん」と言っていた配信者が昨日も同じことを言っていた。人間はやっぱりそうやって過去を美化してしまうものなのだと思うと同時に、ちょっと好きな配信者だったのでがっかりした。

 

 冬に編みきろうと思って買った毛糸がまだ机の端っこに置いてある。冬はもう少しで過ぎ去り、もうとっくにマフラーなどする季節ではない。夏になってもある編みきれなかった毛糸というのはなんだか風情があるなと都合のいいことを思って今日もそのままにした。

 

 この時代に生まれて良かったねと何度か言われたことがある。食べ物にもテクノロジーにも不便することがないから。あの頃私にそういった人たちは今でもそう言えるのだろうか。「ちょうどこの年に卒業なんて不憫だね」「倒産・失業によって自殺者が出るかも」「亡くなっても満足に別れもできない、誰にも責任の行き場がない」、わたしはいつの時代でもこの世に生まれたことは不幸だと思う。